釋尊言(のたま)わく「一切衆生、悉有佛性」。
一切の衆生にことごとく佛性が有る、という。普段に「一切」というとき、私たちは「一切」の範囲を考える。だから僧は趙州に「狗子に佛性有りや也た無しや」と問うのだ。犬にはあるか、蟲けらには有るかと。
しかしながら佛語である「一切」は範囲がない。どこまでも「一切」なのである。その「一切」に「ことごとく佛性が有る」というとき「佛性」という言葉は言葉の限定する力を失い、意味を失う。それが佛語なのだ。そして「月」をさす指なのだ。佛語は意味を探るものではない。ともに佛語の先の「月」を觀ようというのである。
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