第十一 一百八法明門

爾時護明菩薩、觀生家已。時兜率陀有一天宮、名曰高幢、縱廣正等六十由旬。菩薩時時上彼宮中、爲兜率天於法要。是時菩薩、上於彼宮、安坐訖已、告於兜率天子言、汝等天、應來聚集、我身不久下於人間。我今欲一法明門、名入法相方便門。留化汝最後。汝等憶念我故、汝等若聞此法門者、應生歡喜(爾の時に護明菩薩、生家を觀じ已りぬ。時に兜率陀に一天宮有り、名を高幢と曰ふ、縱廣正等六十由旬なり。菩薩時時に彼の宮の中に上り、兜率天の爲に法要をけり。是の時に菩薩、彼の宮に上りて、安坐し訖已りて、兜率天子に告げて言く、汝等天、應に來り聚集るべし、我が身久しからずして人間に下るべし。我れ今一の法明門をかんと欲ふ、入法相方便門と名づく。を留めて汝を化すること最後なり。汝等我れを憶念するが故に、汝等若し此の法門を聞かば、應に歡喜を生ずべし)。
時兜率陀天大衆、聞於菩薩如此語已、及天玉女、一切眷屬、皆來聚集、上於彼宮(時に兜率陀天の大衆、菩薩の此の如く語るを聞き已りて、天の玉女、一切の眷屬に及ぶまで、皆な來り聚集りて、彼の宮に上りぬ)。
護明菩薩、見彼天衆聚會畢已、欲爲法、時更化作一天宮、在彼高幢本天宮上。高大廣闊、覆四天下、可喜微妙、端正少雙、威巍巍、衆寶莊餝。一切欲界天宮殿中、無匹喩者。色界天、見彼化殿、於自宮殿、生如是心、如塚墓相(護明菩薩、彼の天衆の聚會り畢已れるを見て、爲に法をかんと欲ひて、時更に一天宮を化作して、彼の高幢を本天宮の上に在けり。高大廣闊にして四天下を覆ひ、喜ぶべき微妙、端正雙び少く威巍巍たり、衆寶もて莊餝せり。一切欲界の天宮殿の中に、匹喩すべき者無し。色界の天、彼の化殿を見て、自が宮殿に於て是の如くの心を生ぜり、塚墓の相の如しと)。
時護明菩薩、已於過去、行於寶行、種善根、成就聚、功具足、所成莊嚴、師子高座昇上而坐(時に護明菩薩、已に過去に於て、寶行を行じ、の善根を種ゑて、聚を成就し、功具足して、成ぜる所の莊嚴の師子の高座に昇上りて坐せり)。
護明菩薩、在彼師子高座之上、無量寶、莊嚴間錯無量無邊。種種天衣而敷彼座、種種妙香以彼座。無量無邊寶爐燒香、出於種種微妙香花、散其地上。高座周匝有珍寶、百千萬億莊嚴放光、顯耀彼宮。彼宮上下寶網羅覆、於彼羅網多懸金鈴。彼金鈴出聲微妙。彼大寶宮、復出無量種種光明。彼寶宮殿千萬幡蓋、種種妙色映覆於上。彼大宮殿、垂旒蘇、無量無邊百千萬億天玉女、各持種種七寶、音聲作樂讃歎、於菩薩往昔無量無邊功。護世四王百千萬億、在於左右守護彼宮。千萬帝釋禮拜彼宮、千萬梵天恭敬彼宮。又菩薩百千萬億那由他衆、護持彼宮。十方佛、有於萬億那由他數、護念彼宮。百千萬億那由他劫所修行、行波羅蜜、報成就、因具足、日夜長、無量功、悉皆莊嚴。如是如是、難(護明菩薩、彼の師子の高座の上に在り、無量の寶、莊嚴間錯して無量無邊なり。種種の天衣而も彼の座に敷き、種種の妙香以て彼の座にず。無量無邊の寶爐に燒香し、種種微妙の香花を出して其の地上に散ず。高座を周匝しての珍寶有り、百千萬億の莊嚴放光、彼の宮を顯耀かす。彼の宮の上下は寶網羅もて覆ひ、彼の羅網には多く金鈴を懸く。彼のの金鈴、聲を出すこと微妙なり。彼の大寶宮、復た無量種種の光明を出す。彼の寶宮殿の千萬の幡蓋、種種の妙色あつて映つて上に覆ふ。彼の大宮殿、の旒蘇を垂れ、無量無邊百千萬億のの天の玉女、各種種の七寶を持し、音聲もて作樂し讃歎して、菩薩往昔よりの無量無邊の功く。護世の四王百千萬億、左右に在りて彼の宮を守護す。千萬の帝釋彼の宮を禮拜し、千萬の梵天彼の宮を恭敬す。又の菩薩百千萬億那由他衆、彼の宮を護持す。十方の佛、萬億那由他數有りて、彼の宮を護念したまふ。百千萬億那由他劫に修せし所の行、波羅蜜を行ぜし、報成就し、因具足し、日夜に長し、無量の功、悉皆莊嚴せり。是の如く是の如く、難なり)。
彼大微妙師子高座、菩薩坐上、告於一切天衆言、汝等天、今此一百八法明門、一生補處菩薩大士、在兜率宮、欲下託生於人間者、於天衆前、要須宣暢此一百八法明門。留與天以作憶念、然後下生。汝等天、今可至心諦聽諦受、我今之(彼の大微妙なる師子の高座に、菩薩、上に坐して一切天衆に告げて言く、汝等天、今此の一百八法明門、一生補處の菩薩大士、兜率宮に在つて、下つて人間に託生せんと欲る者、天衆の前に於て、要らず須らく此の一百八法明門を宣暢してくべし。天に留與して以て憶念を作さしめ、然る後下生す。汝等天、今至心に諦聽し諦受すべし、我れ今之をくべし)。

一百八法明門者何(一百八法明門とは何ぞや)。
正信是法明門、不破堅牢心故(正信是れ法明門なり、堅牢の心を破せざるが故に)。
淨心是法明門、無濁穢故(淨心是れ法明門なり、濁穢なきが故に)。
歡喜是法明門、安穩心故(歡喜是れ法明門なり、安穩心の故に)。
愛樂是法明門、令心淨故(愛樂是れ法明門なり、心をして淨ならしむるが故に)。
身行正行是法明門、三業淨故(身行正行是れ法明門なり、三業淨きが故に)。
口行淨行是法明門、斷四惡故(口行淨行是れ法明門なり、四惡を斷ずるが故に)。
意行淨行是法明門、斷三毒故(意行淨行是れ法明門なり、三毒を斷ずるが故に)。
念佛是法明門、觀佛淨故(念佛是れ法明門なり、觀佛淨なるが故に)。
念法是法明門、觀法淨故(念法是れ法明門なり、觀法淨なるが故に)。
是法明門、得道堅牢故(念是れ法明門なり、得道堅牢なるが故に)。
念施是法明門、不望果報故(念施是れ法明門なり、果報を望まざるが故に)。
念戒是法明門、一切願具足故(念戒是れ法明門なり、一切の願具足するが故に)。
念天是法明門、發廣大心故(念天是れ法明門なり、廣大心を發すが故に)。
慈是法明門、一切生處善根攝勝故(慈是れ法明門なり、一切の生處に善根攝勝なるが故に)。
悲是法明門、不殺害衆生故(悲是れ法明門なり、衆生を殺害せざるが故に)。
喜是法明門、一切不喜事故(喜是れ法明門なり、一切不喜の事をするが故に)。
是法明門、厭離五欲故(是れ法明門なり、五欲を厭離するが故に)。
無常觀是法明門、觀三界慾故(無常觀是れ法明門なり、三界の慾を觀ずるが故に)。
苦觀是法明門、斷一切願故(苦觀是れ法明門なり、一切の願を斷ずるが故に)。
無我觀是法明門、不染著我故(無我觀是れ法明門なり、我に染著せざるが故に)。
寂定觀是法明門、不擾亂心意故(寂定觀是れ法明門なり、心意を擾亂せざるが故に)。
慚愧是法明門、内心寂定故(慚愧是れ法明門なり、内心寂定なるが故に)。
羞恥是法明門、外惡滅故(羞恥是れ法明門なり、外惡滅するが故に)。
實是法明門、不誑天人故(實是れ法明門なり、天人を誑かさざるが故に)。
眞是法明門、不誑自身故(眞是れ法明門なり、自身を誑かさざるが故に)。
法行是法明門、隨順法行故(法行是れ法明門なり、法行に隨順するが故に)。
三歸是法明門、淨三惡道故(三歸是れ法明門なり、三惡道を淨からしむるが故に)。
知恩是法明門、不善根故(知恩是れ法明門なり、善根をせざるが故に)。
報恩是法明門、不欺負他故(報恩是れ法明門なり、他を欺負せざるが故に)。
不自欺是法明門、不自譽故(不自欺是れ法明門なり、自ら譽めざるが故に)。
爲衆生是法明門、不毀呰他故(爲衆生是れ法明門なり、他を毀呰せざるが故に)。
爲法是法明門、如法而行故(爲法是れ法明門なり、如法にして行ずるが故に)。
知時是法明門、不輕言故(知時是れ法明門なり、言を輕んぜざるが故に)。
攝我慢是法明門、智惠滿足故(攝我慢是れ法明門なり、智惠滿足するが故に)。
不生惡心是法明門、自護護他故(不生惡心是れ法明門なり、自ら護し他を護するが故に)。
無障礙是法明門、心無疑惑故(無障礙是れ法明門なり、心、疑惑無きが故に)。
信解是法明門、決了第一義故(信解是れ法明門なり、第一義を決了するが故に)。
不淨觀是法明門、欲染心故(不淨觀是れ法明門なり、欲染の心をするが故に)。
不諍鬪是法明門、斷瞋訟故(不諍鬪是れ法明門なり、瞋訟を斷ずるが故に)。
不癡是法明門、斷殺生故(不癡是れ法明門なり、殺生を斷ずるが故に)。
樂法義是法明門、求法義故(樂法義是れ法明門なり、法義を求むるが故に)。
愛法明是法明門、得法明故(愛法明是れ法明門なり、法明を得るが故に)。
求多聞是法明門、正觀法相故(求多聞是れ法明門なり、法相を正觀するが故に)。
正方便是法明門、具正行故(正方便是れ法明門なり、正行を具するが故に)。
知名色是法明門、除障礙故(知名色是れ法明門なり、の障礙を除くが故に)。
除因見是法明門、得解故(除因見是れ法明門なり、解を得るが故に)。
無怨親心是法明門、於怨親中生平等故(無怨親心是れ法明門なり、怨親の中に平等を生ずるが故に)。
陰方便是法明門、知苦故(陰方便是れ法明門なり、の苦を知るが故に)。
大平等是法明門、斷於一切和合法故(大平等是れ法明門なり、一切和合の法を斷ずるが故に)。
入是法明門、修正道故(入是れ法明門なり、正道を修するが故に)。
無生忍是法明門、證滅諦故(無生忍是れ法明門なり、滅諦を證するが故に)。
受念處是法明門、斷一切受故(受念處是れ法明門なり、一切の受を斷ずるが故に)。
心念處是法明門、觀心如幻化故(心念處是れ法明門なり、心を觀ずること幻化の如きが故に)。
法念處是法明門、智惠無翳故(法念處是れ法明門なり、智惠無翳なるが故に)。
四正懃是法明門、斷一切惡成善故(四正懃是れ法明門なり、一切惡を斷じての善を成ずるが故に)。
四如意足是法明門、身心輕故(四如意足是れ法明門なり、身心輕きが故に)。
信根是法明門、不隨他語故(信根是れ法明門なり、他の語に隨はざるが故に)。
進根是法明門、善得智故(進根是れ法明門なり、善くの智を得るが故に)。
念根是法明門、善作業故(念根是れ法明門なり、善くの業を作すが故に)。
定根是法明門、心淨故(定根是れ法明門なり、心淨なるが故に)。
慧根是法明門、現見法故(慧根是れ法明門なり、法を現見するが故に)。
信力是法明門、過魔力故(信力是れ法明門なり、の魔の力に過ぐるが故に)。
進力是法明門、不退轉故(進力是れ法明門なり、不退轉なるが故に)。
念力是法明門、不共他故(念力是れ法明門なり、他と共ならざるが故に)。
定力是法明門、斷一切念故(定力是れ法明門なり、一切の念を斷ずるが故に)。
慧力是法明門、離二邊故(慧力是れ法明門なり、二邊を離るるが故に)。
念覺分是法明門、如法智故(念覺分是れ法明門なり、法智の如くなるが故に)。
法覺分是法明門、照明一切法故(法覺分是れ法明門なり、一切法を照明するが故に)。
進覺分是法明門、善知覺故(進覺分是れ法明門なり、善く知覺するが故に)。
喜覺分是法明門、得定故(喜覺分是れ法明門なり、の定を得るが故に)。
除覺分是法明門、所作已辨故(除覺分是れ法明門なり、所作已に辨ずるが故に)。
定覺分是法明門、知一切法平等故(定覺分是れ法明門なり、一切法平等を知るが故に)。
覺分是法明門、厭離一切生故(覺分是れ法明門なり、一切の生を厭離するが故に)。
正見是法明門、得漏盡聖道故(正見是れ法明門なり、漏盡聖道を得るが故に)。
正分別是法明門、斷一切分別無分別故(正分別是れ法明門なり、一切の分別と無分別とを斷ずるが故に)。
正語是法明門、一切名字、音聲語言、知如響故(正語是れ法明門なり、一切の名字、音聲、語言は、響きの如しと知るが故に)。
正業是法明門、無業無報故(正業是れ法明門なり、業無く報無きが故に)。
正命是法明門、除滅一切惡道故(正命是れ法明門なり、一切の惡道を除滅するが故に)。
正行是法明門、至彼岸故(正行是れ法明門なり、彼岸に至るが故に)。
正念是法明門、不思念一切法故(正念是れ法明門なり、一切法を思念せざるが故に)。
正定是法明門、得無散亂三昧故(正定是れ法明門なり、無散亂三昧を得るが故に)。
菩提心是法明門、不斷三寶故(菩提心是れ法明門なり、三寶を斷ぜざるが故に)。
依倚是法明門、不樂小乘故(依倚是れ法明門なり、小乘を樂はざるが故に)。
正信是法明門、得最勝佛法故(正信是れ法明門なり、最勝の佛法を得るが故に)。
進是法明門、成就一切善根法故(進是れ法明門なり、一切の善根の法を成就するが故に)。
檀度是法明門、念念成就相好、莊嚴佛土、化慳貪衆生故(檀度是れ法明門なり、念念に相好を成就し、佛土を莊嚴し、慳貪のの衆生を化するが故に)。
戒度是法明門、遠離惡道難、化破戒衆生故(戒度是れ法明門なり、惡道の難を遠離し、破戒のの衆生を化するが故に)。
忍度是法明門、一切嗔恚、我慢、諂曲、調戲、化如是惡衆生故(忍度是れ法明門なり、一切の嗔恚、我慢、諂曲、調戲をし、是の如きのの惡衆生を化するが故に)。
進度是法明門、悉得一切善法、化懈怠衆生故(進度是れ法明門なり、悉く一切のの善法を得て、懈怠のの衆生を化するが故に)。
禪度是法明門、成就一切禪定及通、化散亂衆生故(禪度是れ法明門なり、一切の禪定及び通を成就し、散亂のの衆生を化するが故に)。
智度是法明門、斷無明黒暗及著見、化愚癡衆生故(智度是れ法明門なり、無明の黒暗及び見に著することを斷じ、愚癡のの衆生を化するが故に)。
方便是法明門、隨衆生所見威儀、而示現化、成就一切佛法故(方便是れ法明門なり、衆生所見の威儀に隨つて、化を示現し、一切佛の法を成就するが故に)。
四攝法是法明門、攝受一切衆生、得菩提已、施一切衆生法故(四攝法是れ法明門なり、一切衆生を攝受し、菩提を得已つて、一切衆生に法を施すが故に)。
化衆生是法明門、自不受樂、不疲倦故(化衆生是れ法明門なり、自ら樂を受けず、疲倦せざるが故に)。
攝受正法是法明門、斷一切衆生煩惱故(攝受正法是れ法明門なり、一切衆生のの煩惱を斷ずるが故に)。
聚是法明門、利一切衆生故(聚是れ法明門なり、一切の衆生を利するが故に)。
修禪定是法明門、滿足十力故(修禪定是れ法明門なり、十力を滿足するが故に)。
寂定是法明門、成就如來三昧具足故(寂定是れ法明門なり、如來の三昧を成就して具足するが故に)。
慧見是法明門、智惠成就滿足故(慧見是れ法明門なり、智惠成就して滿足するが故に)。
入無礙辯是法明門、得法眼成就故(入無礙辯是れ法明門なり、法眼を得て成就するが故に)。
入一切行是法明門、得佛眼成就故(入一切行是れ法明門なり、佛眼を得て成就するが故に)。
成就陀羅尼是法明門、聞一切佛法能受持故(成就陀羅尼是れ法明門なり、一切佛の法を聞いて能く受持するが故に)。
得無礙辯是法明門、令一切衆生皆歡喜故(得無礙辯是れ法明門なり、一切衆生をして皆な歡喜せしむるが故に)。
順忍是法明門、順一切佛法故(順忍是れ法明門なり、一切佛の法に順ふが故に)。
得無生法忍是法明門、得受記故(得無生法忍是れ法明門なり、受記を得るが故に)。
不退轉地是法明門、具足往昔佛法故(不退轉地是れ法明門なり、往昔の佛の法を具足するが故に)。
從一地至一地智是法明門、潅頂成就一切智故(從一地至一地智是れ法明門なり、潅頂して一切智を成就するが故に)。
潅頂地是法明門、從生出家、乃至得成阿耨多羅三藐三菩提故(潅頂地是れ法明門なり、生れて出家するより、乃至阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得るが故に)。
爾時護明菩薩、是語已、告彼一切天衆言、天當知、此是一百八法明門、留與天、汝等受持、心常憶念、勿令忘失(爾の時に護明菩薩、是の語をき已りて、彼の一切のの天衆に告げて言く、天、當に知るべし、此れは是れ一百八法明門なり、天に留與す。汝等受持し、心に常に憶念して、忘失せしむることなかるべし)。
これすなはち一百八法明門なり。一切の一生所繋の菩薩、都史多天より閻浮提に下生せんとするとき、かならずこの一百八法明門を、都史多天の衆のために敷揚して、天を化するは、佛の常法なり。
護明菩薩とは、釋牟尼佛、一生補處として第四天にましますときの名なり。李附馬、天聖廣燈録を撰するに、この一百八法明門の名字をのせたり。參學のともがら、あきらめしれるはすくなく、しらざるは稻竹葦のごとし。いま初心晩學のともがらのためにこれを撰す。師子の座にのぼり、人天の師となれらんともがら、審細參學すべし。この都史多天に一生所繋として住せざれば、さらに佛にあらざるなり。行者みだりに我慢することなかれ、一生所繋の菩薩は中有なし。

正法眼藏一百八法明門第十一