第一 出家功

龍樹菩薩言、
問曰、若居家戒、得生天上、得菩薩道、亦得涅槃。復何用出家戒(問うて曰く、居家戒の若きは、天上に生ずることを得、菩薩の道を得、亦た涅槃を得。復た何ぞ出家戒を用ゐんや)。
答曰、雖倶得度、然有難易。居家生業、種種事務。若欲專心道法家業則癈、若專修家業道事則癈。不取不、能應行法、是名爲難。若出家、離俗絶忿亂、一向專心行道爲易(答へて曰く、倶に得度すと雖も、然も難易有り。居家は生業、種種の事務あり。若し道法に專心せんと欲へば、家業則ち癈す、若し家業を專修すれば道事則ち癈す。取せずせずして能く應に法を行ずべし、是れを名づけて難と爲す。若し出家なれば、俗を離れての忿亂を絶し、一向專心に行道するを易と爲す)。
復次居家、鬧多事多務。結使之根、衆罪之府、是爲甚難。若出家者、譬若有人出在空野無人之處、而一其心、無心無慮。内想除、外事亦去。如偈(復た次に居家は、鬧にして多事多務なり。結使の根、衆罪の府なり、是れを甚難と爲す。出家の若きは、譬へば、人有りて、出でて空野無人の處に在りて、其の心を一にして、心無く慮無きが若し。内想に除こほり、外事亦た去りぬ。偈にくが如し)。
閑坐林樹間、寂然滅衆惡(林樹の間に閑坐すれば、寂然として衆惡を滅す)、
恬澹得一心、斯樂非天樂(恬澹として一心を得たり、斯の樂は天の樂に非ず)。
人求富貴利、名衣好牀褥(人は富貴の利、名衣、好牀褥を求む)、
斯樂非安穩、求利無厭足(斯の樂は安穩に非ず、利を求むれば厭足無し)。
衲衣行乞食、動止心常一(衲衣にして乞食を行ずれば、動止、心、常に一なり)、
自以智慧眼、觀知法實(自ら智慧の眼を以て、法の實を觀知す)。
種種法門中、皆以等觀入(種種の法門の中に、皆な以て等しく觀入す)、
解慧心寂然、三界無能及(解慧の心寂然として、三界に能く及ぶもの無し)。
以是故知、出家修戒行道、爲甚易(是れを以ての故に知りぬ、出家して戒を修し行道するを、甚易なりと爲す)。

復次出家修戒、得無量善律儀、一切具足滿。以是故、白衣等應當出家受具足戒(復た次に出家して戒を修すれば、無量の善律儀を得、一切具足して滿ず。是れを以ての故に、白衣等應當に出家して具足戒を受くべし)。
復次佛法中、出家法第一難修(復た次に佛法の中には、出家の法第一に修し難し)。
如閻浮提梵志問舍利弗、於佛法中、何者最難(閻浮提梵志の舍利弗に問ひしが如き、佛法の中に、何者か最も難き)。
舍利弗答曰、出家爲難(出家を難しと爲す)。
又問、出家有何等難(出家には何等の難きことか有る)。
答曰、出家内樂爲難(出家は内樂を難しと爲す)。
得内樂、復次何者爲難(に内樂を得ぬれば、復た次に何者をか難しと爲す)。
善法難(の善法を修すること難し)。
以是故應出家(是れを以ての故に、應に出家すべし)。
復次若人出家時、魔王驚愁言、此人結使欲薄、必得涅槃、墮寶數中(復た次に若し人出家せん時、魔王驚愁して言く、此の人はの結使薄らぎなんず、必ず涅槃を得て、寶の數中に墮すべし)。

復次佛法中出家人、雖破戒墮罪、罪畢得解、如優鉢羅華比丘尼本生經中(復た次に佛法の中の出家人は、破戒して墮罪すと雖も、罪畢りぬれば解を得ること、優鉢羅華比丘尼本生經の中にくが如し)。
佛在世時、此比丘尼、得六通阿羅漢。入貴人舍、常讃出家法、語貴人婦女言、姉妹、可出家(佛在世の時、此の比丘尼、六通阿羅漢を得たり。貴人の舍に入りて、常に出家の法を讃めて、の貴人婦女に語りて言く、姉妹、出家すべし)。
貴婦女言、我等少壯、容色盛美、持戒爲難、或當破戒(の貴婦女言く、我等少壯して、容色盛美なり、持戒を難しと爲す、或いは當に破戒すべし)。
比丘尼言、破戒便破、但出家(戒を破らば便ち破すべし、但だ出家すべし)。
問言、破戒當墮地獄、云何可破(戒を破らば當に地獄に墮すべし、云何が破すべき)。
答言、墮地獄便墮(地獄に墮さば便ち墮すべし)。
貴婦女笑之言、地獄受罪、云何可墮(貴婦女、之を笑つて言く、地獄にては罪を受く、云何が墮すべき)。
比丘尼言、我自憶念本宿命時、作戲女、著種種衣服而舊語。或時著比丘尼衣、以爲戲笑。以是因故、葉佛時、作比丘尼。自恃貴姓端正、心生慢、而破禁戒。破禁戒罪故、墮地獄受種種罪。受畢竟値釋牟尼佛出家、得六通阿羅漢道(比丘尼言く、我れ自ら本宿命の時を憶念するに、戲女と作り、種種の衣服を著して舊語をきき。或る時比丘尼衣を著して、以て戲笑を爲しき。是の因を以ての故に、葉佛の時、比丘尼と作りぬ。自ら貴姓端正なるを恃んで、心に慢を生じ、而も禁戒を破りつ。禁戒を破りし罪の故に、地獄に墮して種種の罪を受けき。受け畢竟りて釋牟尼佛に値ひたてまつりて出家し、六通阿羅漢道を得たり)。
以是故知、出家受戒、雖復破戒、以戒因故、得阿羅漢道。若但作惡無戒因、不得道也。我乃昔時、世世墮地獄、從地獄出爲惡人。惡人死還入地獄、都無所得。今以此證知、出家受戒、雖復破戒、以是因、可得道果(是れを以ての故に知りぬ、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、戒の因を以ての故に、阿羅漢道を得。若し但だ惡を作して戒の因無からんには、道を得ざるなり。我れ乃ち昔時、世世に地獄に墮し、地獄より出でては惡人爲り。惡人死して還た地獄に入りて、都て所得無かりき。今此れを以て證知す、出家受戒せば、復た破戒すと雖も、是の因を以て、道果を得べしといふことを)。

復次如佛在祇桓、有一醉婆羅門。來到佛所、求作比丘。佛敕阿難、與剃頭著法衣。醉酒醒、驚怪己身忽爲比丘、便走去(復た次に佛、祇桓に在ししが如き、一りの醉婆羅門有りき。佛の所に來到りて比丘と作らんことを求む。佛、阿難に敕して、剃頭を與へ法衣を著せしむ。醉酒に醒めて、己が身の忽ちに比丘と爲れるを驚怪し、便ち走り去りぬ)。
比丘問佛、何以聽此婆羅門作比丘(比丘、佛に問ひたてまつらく、何を以てか此の婆羅門を聽して比丘と作したまひしや)。
佛言、此婆羅門、無量劫中、初無出家心、今因醉後、暫發微心。以此因故、後當出家得道(佛言はく、此の婆羅門は、無量劫の中にも、初めより出家の心無し、今醉に因るが故に、暫く微心を發せり。此の因を以ての故に、後に當に出家得道すべし)。
如是種種因、出家之功無量。以是白衣雖有五戒、不如出家(是の如くの種種の因ありて、出家の功無量なり。是れを以て白衣に五戒有りと雖も、出家には如かず)。

世尊すでに醉婆羅門に出家受戒を聽許し、得道最初の下種とせしめまします。あきらかにしりぬ、むかしよりいまだ出家の功なからん衆生、ながく佛果菩提うべからず。この婆羅門、わづかに醉酒のゆゑに、しばらく微心をおこして剃頭受戒し、比丘となれり。酒醉さめざるあひだ、いくばくにあらざれども、この功を保護して、得道の善根を長すべきむね、これ世尊誠諦の金言なり、如來出世の本懷なり。一切衆生あきらかに已今當の中に信受奉行したてまつるべし。まことにその發心得道、さだめて刹那よりするものなり。この婆羅門しばらくの出家の功、なほかくのごとし。いかにいはんやいま人間一生の壽者命者をめぐらして出家受戒せん功、さらに醉婆羅門よりも劣ならめやは。
轉輪聖王は八萬歳以上のときにいでて四州を統領せり、七寶具足せり。そのとき、この四州みな淨土のごとし。輪王の快樂、ことばのつくすべきにあらず。あるいは三千界統領するもありといふ、金銀銅鐵輪の別ありて、一二三四州の統領あり。かならず身に十惡なし。この轉輪聖王、かくのごときの快樂にゆたかなれども、かうべにひとすぢの白髪おひぬれば、くらゐを太子にゆづりて、わがみ、すみやかに出家し、袈裟を著して山林にいり、修練し、命終すればかならず梵天にむまる。このみづからがかうべの白髪を銀凾にいれて、王宮にをさめたり。のちの輪王に相傳す。のちの輪王、また白髪おひぬれば先王に一如なり。轉輪聖王の出家ののち、餘命のひさしきこと、いまの人にたくらぶべからず。すでに輪王八萬上といふ、その身に三十二相を具せり、いまの人およぶべからず。しかあれども、白髪をみて無常をさとり、白業を修して功を成就せんがために、かならず出家修道するなり。いまの王、轉輪聖王におよぶべからず。いたづらに光陰を貪欲の中にすごして出家せざるは、來世くやしからん。いはんや小國邊地は、王者の名あれども王者のなし、貪じてとどまるべからず。出家修道せば、天よろこびまぼるべし、龍うやまひ保護すべし。佛の佛眼あきらかに證明し、隨喜しましまさん。
戲女のむかしは信心にあらず、戲笑のために比丘尼の衣を著せり。おそらくは輕法の罪あるべしといへども、この衣をそのみに著せしちから、二世に佛法にあふ。比丘尼衣とは袈裟なり。戲笑著袈裟のちからによりて、第二生葉佛のときにあふたてまつる。出家受戒し、比丘尼となれり。破戒によりて墮獄受罪すといへども、功くちずしてつひに釋牟尼佛にあひたてまつり、見佛聞法、發心修して、ながく三界をはなれて大阿羅漢となれり、六通三明を具足せり、かならず無上道なるべし。
しかあればすなはち、はじめより一向無上菩提のために、淨の信心をこらして袈裟を信受せん。その功長、かの戲女の功よりもすみやかならん。いはんやまた、無上菩提のために菩提心をおこし出家受戒せん、その功無量なるべし。人身にあらざればこの功を成就することまれなり、西天東土、出家在家の菩薩、師おほしといふとも、龍樹師におよばず。醉婆羅門、戲女等の因、もはら龍樹師これを擧して衆生の出家受戒をすすむ、龍樹師すなはち世尊金口の所記なり。

世尊言、南州有四種最勝。一見佛、二聞法、三出家、四得道(南州に四種の最勝有り。一に見佛、二に聞法、三に出家、四に得道)。
あきらかにしるべし、この四種最勝、すなはち北州にもすぐれ、天にもすぐれたり。いまわれら宿善根力にひかれて最勝の身をえたり、歡喜隨喜して出家受戒すべきものなり。最勝の善身をいたづらにして、露命を無常の風にまかすることなかれ。出家の生生をかさねば、積功累ならん。

世尊言、於佛法中、出家果報不可思議。假使有人起七寶塔、高至三十三天、所得功、不如出家。何以故。七寶塔者、貪惡愚人能破壞故。出家功無有壞毀。是故若男女、若放奴婢、若聽人民、若自己身、出家入道者、功無量(世尊言はく、佛法の中に於て、出家の果報不可思議なり。假使人有りて七寶の塔を起てて、高さ三十三天に至るも、得る所の功、出家には如かず。何を以ての故に。七寶の塔は貪惡の愚人能く破壞するが故に。出家の功は壞毀すること有ること無し。是の故に若しは男女をへ、若しは奴婢を放し、若しは人民を聽し、若しは自己の身をもて、出家し入道せば、功無量なり)。
世尊あきらかに功の量をしろしめて、かくのごとく校量しまします。これをききて、一百二十歳の耄及なれども、しひて出家受戒し、少年の席末につらなりて修練し、大阿羅漢となれり。
しるべし、今生の人身は、四大五蘊、因和合してかりになせり、八苦つねにあり。いはんや刹那刹那に生滅してさらにとどまらず、いはんや一彈指のあひだに六十五の刹那生滅すといへども、みづからくらきによりて、いまだしらざるなり。すべて一日夜があひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて五蘊生滅すといへども、しらざるなり。あはれむべし、われ生滅すといへども、みづからしらざること。この刹那生滅の量、ただ佛世尊ならびに舍利弗とのみしらせたまふ。餘聖おほかれども、ひとりもしるところにあらざるなり。この刹那生滅の道理によりて、衆生すなはち善惡の業をつくる、また刹那生滅の道理によりて、衆生發心得道す。
かくのごとく生滅する人身なり、たとひをしむともとどまらじ。むかしよりをしんでとどまれる一人いまだなし。かくのごとくわれにあらざる人身なりといへども、めぐらして出家受戒するがごときは、三世の佛の所證なる阿耨多羅三藐三菩提、金剛不壞の佛果を證するなり。たれの智人か欣求せざらん。これによりて、過去日月燈明佛の八子、みな四天下を領する王位をすてて出家す。大通智勝佛の十六子、ともに出家せり。大通入定のあひだ、衆のために法華をとく、いまは十方の如來となれり。父王轉輪聖王の所將衆中八萬億人も、十六王子の出家をみて出家をもとむ、輪王すなはち聽許す。妙莊嚴の二子ならびに父王、夫人、みな出家せり。
しるべし、大聖出現のとき、かならず出家するを正法とせりといふこと、あきらけし。このともがら、おろかにして出家せりといふべからず、賢にして出家せりとしらば、ひとしからんことをおもふべし。今釋牟尼佛のときは、羅羅、阿難等みな出家し、また千釋の出家あり、二萬釋の出家あり、勝躅といふべし。はじめ五比丘出家より、をはり須跋陀羅が出家にいたるまで、歸佛のともがらすなはち出家す。しるべし、無量の功なりといふこと。
しかあればすなはち、世人もし子孫をあはれむことあらば、いそぎ出家せしむべし。父母をあはれむことあらば、出家をすすむべし。かるがゆゑに偈にいはく、
若無過去世(若し過去世無からんには)、
應無過去佛(應に過去佛無かるべし)。
若無過去佛(若し過去佛無からんには)、
無出家受具(出家受具無けん)。
この偈は、佛如來の偈なり、外道の過去世なしといふを破するなり。しかあればしるべし、出家受具は過去佛の法なり。われらさいはひに佛の妙法なる出家受戒するときにあひながら、むなしく出家受戒せざらん、何のさはりによるとしりがたし。最下品の依身をもて、最上品の功を成就せん、閻浮提および三界の中には最上品の功なるべし。この閻浮の人身いまだ滅せざらんとき、かならず出家受戒すべし。

古聖云、出家之人、雖破禁戒、猶勝在俗受持戒者。故經偏、勸人出家、其恩難報(古聖云く、出家の人は、禁戒を破ると雖も、猶ほ在俗にして戒を受持せん者に勝る。故に經に偏にかく、人を勸めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。
復次、勸出家者、是勸人修尊重業。所得果報、勝魔王、輪王、帝釋。故經偏、勸人出家、其恩難報(復た次に、出家を勸むる者は、ち是れ人を勸めて尊重業を修せしむ。所得の果報、魔王、輪王、帝釋にも勝る。故に經に偏にかく、人を勸めて出家せしむる、其の恩報じ難し)。
勸人受持近事戒等、無如是事、故經不證(人を勸めて近事戒等を受持せしめんには、是の如くの事無し、故に經に證せず)。
しるべし、出家して禁戒を破すといへども、在家にて戒をやぶらざるにはすぐれたり。歸佛かならず出家受戒すぐれたるべし。出家をすすむる果報、魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釋にもすぐれたり。たとひ毘舍、首陀羅なれども、出家すれば刹利にもすぐるべし。なほ魔王にもすぐれ、輪王にもすぐれ、帝釋にもすぐる。在家戒かくのごとくならず、ゆゑに出家すべし。
しるべし、世尊の所、はかるべからざるを。世尊および五百大阿羅漢、ひろくあつめたり。まことにしりぬ、佛法におきて道理あきらかなるべしといふこと。一聖、三明、六通の智慧、なほ近代の凡師のはかるべきにあらず、いはんや五百の聖者をや。近代の凡師らがしらざるところをしり、みざるところをみ、きはめざるところをきはめたりといへども、凡師らがしれるところ、しらざるにあらず。しかあれば、凡師の黒闇愚鈍のをもて、聖者三明の言に比類することなかれ。

婆沙一百二十云、發心出家尚名聖者、況得忍法(發心出家するすら尚ほ聖者と名づく、況んや忍法を得んや)。
しるべし、發心出家すれば聖者となづくるなり。

牟尼佛五百大願のなかの第一百三十七願、我未來、成正覺已、或有人、於我法中欲出家者、願無障礙。所謂羸劣、失念、狂亂、慢、無有畏懼、癡無智惠、多結使、其心散亂、若不爾者、不成正覺(我れ未來に正覺を成じ已らんに、或し人有りて、我が法中に於て出家せんと欲はん者、願、障礙無けん。所謂羸劣、失念、狂亂、慢にして、畏懼有ること無く、癡にして智惠無く、の結使多く、其の心散亂せらんにも、若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。
第一百三十八願、我未來、成正覺已、或有女人、欲於我法出家學道、受大戒者、願令成就。若不爾者、不成正覺(第一百三十八願に、我れ未來に正覺を成じ已らんに、或し女人有りて、我が法に於て出家學道し、大戒を受けんと欲はん者、願、成就せしめん。若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。
第三百十四願、我未來、成正覺已、若有衆生、少於善根、於善根中、心生愛樂、我當令其於未來世、在佛法中、出家學道。安止令住梵淨十戒。若不爾者、不成正覺(第三百十四願に、我れ未來に正覺を成じ已らんに、若し衆生有りて、善根に少け、善根の中に於て心、愛樂を生ぜん、我れ當に其をして未來世に、佛法の中に在りて出家學道せしむべし。安止して梵淨の十戒に住せしめん。若し爾らざれば、正覺を成ぜじ)。
しるべし、いま出家する善男子善女人、みな世尊の往昔の大願力にたすけられて、さはりなく出家受戒することをえたり。如來すでに誓願して出家せしめまします、あきらかにしりぬ、最尊最上の大功なりといふことを。

佛言、及有依我剃除鬚髪、著袈裟片、不受戒者、供養是人、亦得乃至入無畏城。以是故、我如是(佛言はく、及び我れに依りて鬚髪を剃除し、袈裟片を著して、受戒せざらん者有らん、是の人を供養するも、亦た乃至無畏城に入ることを得ん。是のを以ての故に、我れ是の如くく)。
あきらかにしる、剃除鬚髪して袈裟を著せば、戒をうけずといふとも、これを供養せん人、無畏城にいらん。
又云、若復有人、爲我出家、不得禁戒、剃除鬚髪、著袈裟片、有以非法惱害此者、乃至破壞三世佛法身報身、乃至盈滿三惡道故(又云く、若し復た人有りて、我が爲に出家して禁戒を得ざるも、鬚髪を剃除し、袈裟片を著せん、非法を以て此れを惱害する者有らば、乃至三世佛の法身報身を破壞するなり、乃至三惡道盈滿するが故に)。
佛言、若有衆生、爲我出家、剃除鬚髪、被服袈裟、設不持戒、彼等悉已爲涅槃印之所印也(佛言はく、若し衆生有りて、我が爲に出家し、鬚髪を剃除し、袈裟を被服せん、設ひ戒を持たざらんも、彼等悉く已に涅槃の印の爲に印せらるる也)。
若復出家、不持戒者、有以非法、而作惱亂、罵辱、毀呰、以手刀杖打縛斫截、若奪衣鉢、及奪種種資生具者、是人則壞三世佛眞實報身、則挑一切人天眼目。是人爲欲隱沒佛所有正法三寶種故。令天人不得利墮地獄故。爲三惡道長盈滿故(若し復た出家して、戒を持たざらん者、非法を以て惱亂、罵辱、毀呰を作し、手に刀杖を以て打縛斫截し、若しは衣鉢を奪ひ、及び種種の資生の具を奪ふ者有らん、是の人は則ち三世佛の眞實の報身を壞するなり、則ち一切人天の眼目を挑るなり。是の人は佛所有の正法、三寶の種を隱沒せんとするが爲の故に。の天人をして利を得ず、地獄に墮せしむるが故に。三惡道長盈滿するが爲の故に)。
しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひとこれを惱亂すれば、三世佛の報身を壞するなり。逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功、ただちに三世佛にちかしといふことを。

佛言、夫出家者、不應起惡。若起惡者、則非出家。出家之人、身口相應。若不相應、則非出家。我棄父母、兄弟、妻子、眷屬、知識、出家修道。正是修集善覺時、非是修集不善覺時。善覺者、憐愍一切衆生、猶如赤子。不善覺者、與此相違(佛言はく、夫れ出家は、應に惡を起すべからず。若し惡を起さば、則ち出家に非ず。出家の人は、身口相應すべし。若し相應せざれば、則ち出家に非ず。我れ父母、兄弟、妻子、眷屬、知識を棄てて、出家修道す。正に是れの善覺を修集すべき時なり、是れ不善覺を修集すべき時に非ず。善覺とは、一切衆生を憐愍すること、猶ほ赤子の如し。不善覺とは、此と相違す)。
それ出家の自性は、憐愍一切衆生、猶如赤子なり。これすなはち不起惡なり、身口相應なり。その儀すでに出家なるがごときは、そのいまかくのごとし。

佛言、復次舍利弗、菩薩摩訶薩、若欲出家日、成阿耨多羅三藐三菩提、是日轉法輪、轉法輪時、無量阿祇衆生、遠塵離垢、於法中、得法眼淨、無量阿祇衆生、得一切法不受故、漏心得解、無量阿祇衆生、於阿耨多羅三藐三菩提、得不退轉、當學般若波羅蜜(佛言はく、復た次に舍利弗、菩薩摩訶薩、若し出家の日に、ち阿耨多羅三藐三菩提を成じ、ち是の日に轉法輪し、轉法輪の時、無量阿祇の衆生、遠塵離垢し、法の中に於て、法眼淨を得、無量阿祇の衆生、一切法不受を得るが故に、漏の心、解を得、無量阿祇の衆生、阿耨多羅三藐三菩提に於て、不退轉を得んと欲はば、當に般若波羅蜜を學すべし)。
いはゆる學般若菩薩とはなり。しかあるに、阿耨多羅三藐三菩提は、かならず出家日に成熟するなり。しかあれども、三阿祇劫に修證し、無量阿祇に修證するに、有邊無邊に染汚するにあらず。學人しるべし。

佛言、若菩薩摩訶薩、作是思惟、我於何時、當國位、出家之日、成無上正等菩提、還於是日、轉妙法輪、令無量無數有、遠塵離垢、生淨法眼。復令無量無數有、永盡漏、心慧解、亦令無量無數有、皆於無上正等菩提、得不退轉。是菩薩摩訶薩、欲成斯事、應學般若波羅蜜(佛言はく、若し菩薩摩訶薩、是の思惟を作さく、我れ何れの時に於てか、當に國位をて、出家の日、ち無上正等菩提を成じ、還た是の日に於て妙法輪を轉じ、ち無量無數の有をして遠塵離垢し、淨法眼を生ぜしむべき。復た無量無數の有をして永く漏を盡くし、心慧解せしめん。亦た無量無數の有をして、皆な無上正等菩提に於て不退轉を得せしめん。是の菩薩摩訶薩、斯の事を成らんと欲はば、應に般若波羅蜜を學すべし)。
これすなはち最後身の菩薩として、王宮に降生し、國位、成正覺、轉法輪、度衆生の功を宣しましますなり。

悉達太子、從車匿邊、索取摩尼雜餝莊嚴七寶把刀、自以右手、執於彼刀、從鞘拔出、以左手、攬捉紺優鉢羅色螺髻之髪、右手自持利刀割取、以右手、擲置空中。時天帝釋、以希有心、生大歡喜、捧太子髻、不令墮地、以天妙衣、承受接取。爾時天、以彼勝上天供具、而供養之(悉達太子、車匿が邊より、摩尼雜餝莊嚴の七寶の把刀を索取し、自ら右の手を以て彼の刀を執り、鞘より拔き出し、ち左の手を以て、紺の優鉢羅色の螺髻の髪を攬捉て、右手に自ら利刀を持ちて割取し、右手を以てげて空中に擲置せり。時に天帝釋、希有の心を以て大歡喜を生じ、太子の髻を捧げて地に墮せしめず、天の妙衣を以て承受接取つ。爾の時に天、彼の上天に勝れたるの供具を以て之を供養せり)。

これ釋如來そのかみ太子のとき、夜半に踰城し、日たけてやまにいたりて、みづから頭髪を斷じまします。ときに淨居天きたりて頭髪を剃除したてまつり、袈裟をさづけたてまつれり。これかならず如來出世の瑞相なり、佛世尊の常法なり。
三世十方佛、みな一佛としても、在家成佛の佛ましまさず。過去有佛のゆゑに、出家受戒の功あり。衆生の得道、かならず出家受戒によるなり。おほよそ出家受戒の功、すなはち佛の常法なるがゆゑに、その功無量なり。聖のなかに在家成佛のあれど正傳にあらず、女身成佛のあれどまたこれ正傳にあらず、佛正傳するは出家成佛なり。

第四優婆多尊者、有長者子、名曰提多伽。來禮尊者、志求出家(第四優婆多尊者、長者子有り、名を提多伽と曰ふ。來りて尊者を禮し、出家を志求せり)。
尊者曰、汝身出家耶、心出家(汝、身の出家なりや、心の出家なりや)。
答曰、我來出家、非爲身心(我れ來りて出家する、身心の爲にあらず)。
尊者曰、不爲身心、復誰出家(身心の爲にあらずは、復た誰か出家する)。
答曰、夫出家者、無我我所故、心不生滅、心不生滅故、是常道。佛亦常心無形相、其躰亦然(夫れ出家は、我と我所と無きが故に、ち心、生滅せず。心、生滅せざる故に、ち是れ常道なり。佛も亦た常に心、形相無く、其の躰も亦た然り)。
尊者曰、汝當大悟心自通達。宜依佛法聖種(汝當に大悟して心、自ら通達すべし。宜しく佛法に依りて聖種を紹すべし)。
與出家受具(ち與に出家受具せしめたり)。
それ佛の法にあふたてまつりて出家するは、最第一の勝果報なり。その法すなはち我のためにあらず、我所のためにあらず。身心のためにあらず、身心の出家するにあらず。出家の我我所にあらざる道理かくのごとし。我我所にあらざれば佛の法なるべし。ただこれ佛の常法なり。佛の常法なるがゆゑに、我我所にあらず、身心にあらざるなり。三界のかたをひとしくするところにあらず。かくのごとくなるがゆゑに、出家これ最上の法なり。頓にあらず、漸にあらず。常にあらず、無常にあらず。來にあらず、去にあらず。住にあらず、作にあらず。廣にあらず、狹にあらず。大にあらず、小にあらず、無作にあらず。佛法單傳の師、かならず出家受戒せずといふことなし。いまの提多伽、はじめて優婆多尊者にあふたてまつりて出家をもとむる道理かくのごとし。出家受具し、優婆多に參學し、つひに第五師となれり。

第十七伽難提尊者、室羅閥城寶莊嚴王之子也。生而能言、常讃佛事。七歳厭世樂、以偈告其父母曰(第十七伽難提尊者は、室羅閥城寶莊嚴王の子なり。生れて能く言ひ、常に佛事を讃む。七歳にしてち世樂を厭ひ、偈を以て其の父母に告げて曰く)、
稽首大慈父(稽首す大慈父)、
和南骨血母(和南す骨血母)。
我今欲出家(我れ今出家せんと欲ふ)、
幸願哀愍故(幸願はくは哀愍したまふが故に)。
父母固止之。遂終日不食。乃許其在家出家、號伽難提、復命沙門禪利多、爲之師。積十九載、未甞退倦。尊者毎自念言、身居王宮、胡爲出家(父母固く之れを止む。遂に終日食はず。乃ち其の家に在りて出家せんことを許す。伽難提と號け、復た沙門禪利多に命じて之が師たらしむ。十九載を積むに、未だ甞て退倦せず。尊者毎に自ら念言すらく、身、王宮に居す、胡んぞ出家たらん)。
一夕天光下屬、見一路坦平。不覺徐行約十里許、至大岩前有石窟焉。乃燕寂于中。父失子、擯禪利多、出國訪尋其子、不知所在。經十年、尊者得法授記已、行化至摩提國(一夕、天光下り屬し、一路坦平なるを見る。覺えず徐ろに行くこと約十里許りにして、大岩の前に至るに石窟有り焉。乃ち中に燕寂せり。父、に子を失ひ、ち禪利多を擯し、國を出でて其の子を訪尋ねしむるも、所在を知らず。十年を經て、尊者、得法授記し已りて、行化して摩提國に至る)。
在家出家の稱、このときはじめてきこゆ。ただし宿善のたすくるところ、天光のなかに坦路をえたり。つひに王宮をいでて石窟にいたる。まことに勝躅なり。世樂をいとひ俗塵をうれふるは聖者なり。五欲をしたひ出離をわするるは凡愚なり。代宗、肅宗、しきりに徒にちかづけりといへども、なほ王位をむさぼりていまだなげすてず。盧居士はすでに親を辭してとなる、出家の功なり。居士はたからをすててちりをすてず、至愚なりといふべし。盧公の道力と公が稽古と、比類にたらず。あきらかなるはかならず出家す、くらきは家にをはる、黒業の因なり。

南嶽懷讓禪師、一日自歎曰、夫出家者、爲無生法、天上人間、無有勝者(南嶽懷讓禪師、一日自ら歎じて曰く、夫れ出家は、無生法の爲にす、天上人間、勝る者有ること無し)。
いはく、無生法とは如來の正法なり、このゆゑに天上人間にすぐれたり。天上といふは、欲界に六天あり、色界に十八天あり、無色界に四種、ともに出家の道におよぶことなし。

盤山寶積禪師曰、禪、可中學道、似地山、不知山之孤峻。如石含玉、不知玉之無瑕。若如是者、是名出家(盤山寶積禪師曰く、禪、可中學道は、地の山をげて、山の孤峻を知らざるに似たり。石の玉を含んで、玉の瑕無きを知らざるが如し。若し是の如くならば、是れを出家と名づく)。
の正法かならずしも知不知にかかはれず、出家は佛の正法なるがゆゑに、その功あきらかなり。

鎭州臨濟院義玄禪師曰、夫出家者、須辨得平常眞正見解、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖。若如是辨得、名眞出家。若魔佛不辨、正是出一家入一家、喚作造業衆生。未得名爲眞正出家(鎭州臨濟院義玄禪師曰く、夫れ出家は、須らく平常眞正の見解を辨得し、辨佛辨魔、辨眞辨僞、辨凡辨聖すべし。若し是の如く辨得せば、眞の出家と名づく。若し魔佛辨ぜざれば、正に是れ一家を出でて一家に入るなり、喚んで造業の衆生と作す。未だ名づけて眞正の出家と爲すこと得ず)。
いはゆる平常眞正見解といふは、深信因果、深信三寶等なり。辨佛といふは、ほとけの因中果上の功を念ずることあきらかなるなり。眞僞凡聖をあきらかに辨肯するなり。もし魔佛をあきらめざれば、學道を沮壞し、學道を退轉するなり。魔事を覺知してその事にしたがはざれば、辨道不退なり。これを眞正出家の法とす。いたづらに魔事を佛法とおもふものおほし、近世の非なり。學者、はやく魔をしり佛をあきらめ、修證すべし。

如來般涅槃時、葉菩薩、白佛言、世尊、如來具足知根力、定知善星當斷善根。以何因、聽其出家(如來般涅槃したまひし時、葉菩薩、佛に白して言さく、世尊、如來はの根を知る力を具足したまふ、定んで善星當に善根を斷ずべきを知りたまひしならん。何の因を以てか、其の出家を聽したまひしや)。
佛言、善男子、我於往昔、初出家時、吾弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅羅、如是等輩、皆悉隨我出家修道。我若不聽善星出家、其人次當王得紹王位、其力自在、當壞佛法。以是因、我便聽其出家修道(佛言はく、善男子、我れ往昔に於て、初めて出家せし時、吾が弟難陀、從弟阿難、調達多、子羅羅、是の如き等の輩、皆な悉く我に隨つて出家修道せり。我れ若し善星が出家を聽さずは、其の人次に當に王として王位を紹ぐことを得て、其の力自在にして、當に佛法を壞るべし。是の因を以て、我れ便ち其の出家修道を聽しき)。
善男子、善星比丘、若不出家、亦斷善根、於無量世、都無利。令出家已、雖斷善根、能受持戒、供養恭敬耆舊、長宿、有之人、修初禪乃至四禪。是名善因。如是善因、能生善法。善法生、能修道。道、當得阿耨多羅三藐三菩提。是故我聽善星出家。善男子、若我不聽善星比丘出家受戒、則不得稱我爲如來具足十力(善男子、善星比丘若し出家せざるも、亦た善根を斷じ、無量世に於て都て利無けん。出家せしめ已りぬれば、善根を斷ずと雖も、能く戒を受持し、耆舊、長宿、有の人を供養し恭敬し、初禪乃至四禪を修す。是れを善因と名づく。是の如くの善因は、能く善法を生ず。善法に生じぬれば、能く道を修す。に道を修しぬれば、當に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。是の故に我れ善星が出家を聽しき。善男子、若し我れ善星比丘が出家受戒を聽さずは、則ち我れを稱して如來具足十力と爲すこと得じ)。
善男子、佛觀衆生、具足善法及不善法。是人雖具如是二法、不久能斷一切善根、具不善根。何以故、如是衆生、不親善友、不聽正法、不善思惟、不如法行。以是因、能斷善根、具不善根(善男子、佛、衆生を觀じたまふに、善法と及び不善法とを具足す。是の人是の如くの二法を具すと雖も、久しからずして能く一切善根を斷じて不善根を具せん。何を以ての故に、是の如くの衆生は、善友に親しまず、正法を聽かず、善思惟せず、如法に行せず。是の因を以て、能く善根を斷じて不善根を具す)。
しるべし、如來世尊、あきらかに衆生の斷善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさづくるとして出家をゆるさせたまふ、大慈大悲なり。斷善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま學者、かならず善友に親近すべし、善友とは、佛ましますととくなり、罪ありとをしふるなり。因果を撥無せざるを善友とし、善知識とす。この人の所、これ正法なり。この道理を思惟する、善思惟なり。かくのごとく行ずる、如法行なるべし。
しかあればすなはち、衆生は親疎をえらばず、ただ出家受戒をすすむべし。のちの退不退をかへりみざれ、修不修をおそるることなかれ。これまさに釋尊の正法なるべし。

佛告比丘、當知、閻羅王、便作是、我當何日此苦難、於人中生、以得人身、便得出家、剃除鬚髪、著三法衣、出家學道。閻羅王尚作是念。何況汝等、今得人身、得作沙門。是故比丘、當念行身口意行、無令有缺。當滅五結、修行五根。如是比丘、當作是學(佛、比丘に告げたまはく、當に知るべし、閻羅王便ち是のを作さく、我れ當に何れの日にか此の苦難をし、人中に生じ、以て人身を得て、便ち出家し、剃除鬚髪し、三法衣を著して、出家學道することを得べきと。閻羅王すら尚ほ是の念を作す。何に況んや汝等、今、人身を得て沙門と作ることを得るをや。是の故に比丘、當に身口意の行を行じて缺有らしむること無けんと念ずべし。當に五結を滅し、五根を修行すべし。是の如く比丘、當に是の學を作すべし)。
爾時比丘、聞佛所、歡喜奉行(爾の時に比丘、佛の所を聞いて、歡喜奉行しき)。
あきらかにしりぬ、たとひ閻羅王なりといへども、人中の生をこひねがふことかくのごとし。すでにむまれたる人、いそぎ剃除鬚髪し、著三法衣して、學佛道すべし。これ餘趣にすぐれたる人中の功なり。しかあるを、人間にむまれながら、いたづらに官途世路を貪求し、むなしく國王大臣のつかはしめとして、一生を夢幻にめぐらし、後世は黒闇におもむき、いまだたのむところなきは至愚なり。すでにうけがたき人身をうけたるのみにあらず、あひがたき佛法にあひたてまつれり。いそぎを抛し、すみやかに出家學道すべし。國王、大臣、妻子、眷屬は、ところごとにかならずあふ、佛法は優曇花のごとくにしてあひがたし。おほよそ無常たちまちにいたるときは、國王、大臣、親昵、從僕、妻子、珍寶たすくるなし、ただひとり黄泉におもむくのみなり。おのれにしたがひゆくは、ただこれ善惡業等のみなり。人身を失せんとき、人身ををしむこころふかかるべし。人身をたもてるとき、はやく出家すべし、まさにこれ三世の佛の正法なるべし。

その出家行法に四種あり。いはゆる四依なり。
一、盡形壽樹下坐。
二、盡形壽著糞掃衣。
三、盡形壽乞食。
四、盡形壽有病服陳棄藥。
共行此法、方名出家、方名爲。若不行此、不名爲。是故名出家行法(共に此の法を行ぜば、方に出家と名づけ、方に名づけてと爲す。若し此を行ぜずは、名づけてと爲さず。是の故に出家行法と名づく)。
いま西天東地、佛正傳するところ、これ出家行法なり。一生不離叢林なればすなはちこの四依の行法そなはれり、これを行四衣と稱ず。これに違して五依を建立せん、しるべし、邪法なり。たれか信受せん、たれか忍聽せん。佛正傳するところ、これ正法なり。これによりて出家する、人間最上最尊の慶幸なり。このゆゑに、西天竺國にすなはち難陀、阿難、調達、阿那律、摩訶男、拔提、ともにこれ師子頬王のむまご、刹利種姓のもとも尊貴なるなり、はやく出家せり。後代の勝躅なるべし。いま刹利にあらざらんともがら、そのみ、をしむべからず。王子にあらざらんともがら、なにのをしむところかあらん。閻浮提最第一の尊貴より、三界最第一の尊貴に歸するはすなはち出家なり。自餘の小國王、離車衆、いたづらにをしむべからざるををしみ、ほこるべからざるにほこり、とどまるべからざるにとどまりて出家せざらん、たれかつたなしとせざらん、たれか至愚なりとせざらん。
羅尊者は菩薩の子なり、淨王のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。しるべし、出家の法最尊なりと。密行第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず、衆生の田として世間に現住しまします。
西天傳佛正法眼藏の師のなかに、王子の出家せるしげし。いま震旦の初、これ香至王第三皇子なり。王位をおもくせず、正法を傳持せり。出家の最尊なる、あきらかにしりぬべし。これらにならぶるにおよばざる身をもちながら、出家しつべきにおきていそがざらん、いかならん明日をかまつべき。出息、入息をまたず。いそぎ出家せん、それかしこかるべし。またしるべし、出家受戒の師、その恩、すなはち父母にひとしかるべし。

禪苑規第一云、三世佛、皆曰出家成道。西天二十八、唐土六、傳佛心印、盡是沙門。蓋以嚴淨毘尼、方能洪範三界。然則參禪問道、戒律爲先。非離過防非、何以成佛作(禪苑規第一に云く、三世佛、皆な出家成道と曰ふ。西天二十八、唐土六、佛心印を傳ふる、盡く是れ沙門なり。蓋し以て毘尼を嚴淨して、方に能く三界に洪範たり。然あれば則ち參禪問道は戒律爲先なり。に過を離れ非を防ぐに非ずは、何を以てか成佛作せん)。
たとひ澆風の叢林なりとも、なほこれ蔔の林なるべし。凡木凡草のおよぶところにあらず。また合水の乳のごとし。乳をもちゐんとき、この和水の乳をもちゐるべし、餘物をもちゐるべからず。
しかあればすなはち、三世佛、皆曰出家成道の正傳、もともこれ最尊なり。さらに出家せざる三世佛おはしまさず。これ佛佛正傳の正法眼藏涅槃妙心、無上菩提なり。

正法眼藏出家功第一

延慶三年八月六日書寫之