第七十一 鉢盂

七佛向上より七佛に正傳し、七佛裏より七佛に正傳し、渾七佛より渾七佛に正傳し、七佛より二十八代正傳しきたり、第二十八代の師、
菩提達磨高、みづから丹國にいりて、二正宗普覺大師に正傳し、六代つたはれて曹谿にいたる。東西都盧五十一代、すなはち正法眼藏涅槃妙心なり、袈裟、鉢盂なり。ともに先佛は先佛の正傳を保任せり。かくのごとくして佛佛正傳せり。
しかあるに佛を參學する皮肉骨髓、拳頭眼睛、おのおの道取あり。いはゆる、あるいは鉢盂はこれ佛の身心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛の眼睛なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛の光明なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛の眞實體なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛の正法眼藏涅槃妙心なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛の轉身處なりと參學するあり、あるいは鉢盂はこれ佛底なりと參學するあり。かくのごとくのともがらの參學の宗旨、おのおの道得の處分ありといへども、さらに向上の參學あり。
先師天童古佛、大宋寶慶元年、住天童日(天童に住せし日)、上堂云、記得、問百丈(記し得たり、百丈に問ふ)、如何是奇特事(如何ならんか是れ奇特の事)。百丈云、獨坐大雄峰。
大衆不得動著、且坐殺者漢。今日忽有人問淨上座、如何是奇特事。只向他道、有甚奇特。畢竟如何、淨慈鉢盂、移過天童喫(大衆、動著することを得ざれ、且く者漢を坐殺せしめん。今日忽ちに人有つて淨上座に問はん、如何ならんか是れ奇特の事と。ただ他に向つて道ふべし。甚の奇特か有らん。畢竟如何。淨慈の鉢盂、天童に移過して喫す)。
しるべし、奇特事はまさに奇特人のためにすべし。奇特事には奇特の調度をもちゐるべきなり。これすなはち奇特の時節なり。しかあればすなはち、奇特事の現成せるところ、奇特鉢盂なり。これをもて四天王をして護持せしめ、龍王をして擁護せしむる、佛道の玄軌なり。このゆゑに佛に奉獻し、佛より附囑せらる。
の堂奥に參學せざるともがらいはく、佛袈裟は、絹なり、布なり、化絲のをりなせるところなりといふ。佛鉢盂は、石なり、瓦なり、鐵なりといふ。かくのごとくいふは、未具參學眼のゆゑなり。佛袈裟は佛袈裟なり、さらに絹、布の見あるべからず。絹布等の見は舊見なり。佛鉢盂は佛鉢盂なり、さらに石瓦といふべからず、鐵木といふべからず。

おほよそ佛鉢盂は、これ造作にあらず、生滅にあらず。去來せず、得失なし。新舊にわたらず、古今にかかはれず。佛の衣盂は、たとひ雲水を採集して現成せしむとも、雲水の籠にあらず。たとひ草木を採集して現成せしむとも、草木の籠にあらず。その宗旨は、水は衆法を合成して水なり、雲は衆法を合成して雲なり。雲を合成して雲なり、水を合成して水なり。鉢盂は但以衆法、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成衆法なり。但以渾心、合成鉢盂なり。但以空、合成鉢盂なり。但以鉢盂、合成鉢盂なり。鉢盂は鉢盂に礙せられ、鉢盂に染汚せらる。
いま雲水の傳持せる鉢盂、すなはち四天王奉獻の鉢盂なり。鉢盂もし四天王奉獻せざれば現前せず。いま方に傳佛正法眼藏の佛の正傳せる鉢盂、これ透古今底の鉢盂なり。しかあれば、いまこの鉢盂は、鐵漢の舊見を破せり、木の商量に拘牽せられず、瓦礫の聲色を超越せり。石玉の活計を礙せざるなり。碌といふことなかれ、木といふことなかれ。かくのごとく承當しきたれり。

正法眼藏鉢盂第七十一

爾時元三年乙巳三月十二日在越宇大佛舍示衆
元乙巳七月廿七日在大佛寺侍司書寫 懷弉