第六十七 轉法輪

先師天童古佛上堂擧、世尊道、一人發眞歸源、十方空、悉皆消殞(先師天童古佛、上堂に擧す、世尊道はく、一人發眞歸源すれば、十方空悉皆消殞す)。
師拈云、是世尊所、未免盡作奇特商量。天童則不然、一人發眞歸源、乞兒打破椀(師、拈じて云く、に是れ世尊の所なり、未だ免れず盡く奇特の商量を作すことを。天童は則ち然らず、一人發眞歸源すれば、乞兒椀を打破す)。
山法演和尚道、一人發眞歸源、十方空、築著著。
佛性法泰和尚道、一人發眞歸源、十方空、只是十方空。
夾山圜悟禪師克勤和尚云、一人發眞歸源、十方空、錦上添花。
大佛道、一人發眞歸源、十方空、發眞歸源。
いま擧するところの一人發眞歸源、十方空、悉皆消殞は首楞嚴經のなかの道なり。この句、かつて數位の佛おなじく擧しきたれり。いまよりこの句、まことに佛骨髓なり、佛眼睛なり。しかいふこころは、首楞嚴經一部拾軸、あるいはこれを僞經といふ、あるいは僞經にあらずといふ。兩すでに往往よりいまにいたれり。舊譯あり、新譯ありといへども、疑著するところ、龍年中の譯をうたがふなり。しかあれども、いますでに五の演和尚、佛性泰和尚、先師天童古佛、ともにこの句を擧しきたれり。ゆゑにこの句すでに佛の法輪に轉ぜられたり、佛法輪轉なり。このゆゑにこの句すでに佛を轉じ、この句すでに佛をとく。佛に轉ぜられ、佛を轉ずるがゆゑに、たとひ僞經なりとも、佛もし轉擧しきたらば眞箇の佛經經なり、親曾の佛法輪なり。たとひ瓦礫なりとも、たとひ黄葉なりとも、たとひ優曇花なりとも、たとひ金襴衣なりとも、佛すでに拈來すれば佛法輪なり、佛正法眼藏なり。
しるべし、衆生もし超出成正覺すれば佛なり、佛の師資なり、佛の皮肉骨髓なり。さらに從來の兄弟衆生を兄弟とせず。佛これ兄弟なるがごとく、拾軸の文句たとひ僞なりとも、而今の句は超出の句なり。佛句句なり、餘文餘句に群すべからず。たとひこの句は超越の句なりとも、一部の文句性相を佛言語に擬すべからず、參學眼睛とすべからず。而今の句を句に比論すべからざる道理おほかる、そのなかに一端を擧拈すべし。
いはゆる轉法輪は、佛儀なり。佛いまだ不轉法輪あらず。その轉法輪の樣子、あるいは聲色を擧拈して聲色を打失す。あるいは聲色を跳して轉法輪す。あるいは眼睛を抉出して轉法輪す。あるいは拳頭を擧起して轉法輪す。あるいは鼻孔をとり、あるいは空をとるところに、法輪自轉なり。而今の句をとる、いましこれ明星をとり、鼻孔をとり、桃花をとり、空をとるすなはちなり。佛をとり、法輪をとるはすなはちなり。この宗旨、あきらかに轉法輪なり。
轉法輪といふは、功夫參學して一生不離叢林なり、長連牀上に辨道するをいふ。

正法眼藏第六十七

爾時元二年甲辰二月二十七日在越宇吉峰舍示衆
同三月一日在同舍侍者寮書寫之 後以御再治本校勘書寫之畢