第四十五 密語

佛之所護念の大道を見成公案するに、汝亦如是、吾亦如是、善自護持、いまに證契せり。
雲居山弘覺大師、因官人送供問曰、世尊有密語有、葉不覆藏。如何是世尊密語(雲居山弘覺大師、因みに官人、供を送りて問うて曰く、世尊に密語有り、葉覆藏せずと。如何ならんか是れ世尊の密語)。
大師召云、尚書。
其人應諾(其の人應諾す)。
大師云、會麼(會すや)。
尚書曰、不會。
大師云、汝若不會世尊密語、汝若會葉不覆藏(汝若し不會なるは世尊の密語なり、汝若し會ならんは葉不覆藏なり)。
大師者、原五世の嫡孫と現成して、天人師なり、盡十方界の大善知識なり。有を化し、無を化す。四十六佛の佛嫡として、佛のために法す。三峰庵主の住裏には、天廚送供す。傳法得道のときより、送供の境界を超越せり。
いまの道取する世尊有密語、葉不覆藏は、四十六佛の相承といへども、四十六代の本來面目として、匪從人得なり、不從外來なり。不是本得なり、未嘗新條なり。この一段事の密語の現成なる、ただ釋牟尼世尊のみ密語あるにあらず、みな密語あり。すでに世尊なるは、かならず密語あり。密語あれば、さだめて葉不覆藏あり。百千の世尊あれば百千の葉ある道理を、わすれず參學すべきなり。參學すといふは、一時會取せんとおもはず、百廻千廻も審細功夫して、かたきものをきらんと經營するがごとくすべし。かたる人あらば、たちどころに會取すべしとおもふべからず。いま雲居山すでに世尊ならんに密語そなはり、不覆藏の葉あり。喚尚書、書應諾は、すなはち密語なりと參學することなかれ。
大師ちなみに尚書にしめすにいはく、汝若不會、世尊密語、汝若會、葉不覆藏。いまの道取、かならず多劫の辨道功夫を立志すべし。
なんぢもし不會なるは世尊の密語なりといふ、いまの茫然とあるを不會といふにあらず、不知を不會といふにあらず。なんじもし不會といふ道理、しづかに參學すべき處分を聽許するなり。功夫辨道すべし。さらにまた、なんぢもし會ならんはと道取する、いますでに會なるとにはあらず。
佛法を參學するに多途あり。そのなかに、佛法を會し、佛法を不會する關子あり。正師をみざれば、ありとだにもしらず、いたづらに絶見聞の眼處耳處におほせて、密語ありと亂會せり。なんぢもし會なるゆゑに葉不覆藏なるといふにあらず、不會の不覆藏もあるなり。不覆藏はたれ人も見聞すべしと學すべからず。すでにこれ不覆藏なり、無處不覆藏ならん正恁麼時、こころみに參究すべし。
しかあれば、みづからしらざらん境界を密語と參學しきたるにあらず、佛法を不會する正當恁麼時、これ一分の密語なり。これかならず世尊有なり、有世尊なり。
しかあるを、正師の訓をきかざるともがら、たとひ獅子座上にあれども、夢也未見者箇道理なり。かれらみだりにいはく、世尊有密語とは、靈山百萬衆前に拈花瞬目せしなり。そのゆゑに、有言の佛は淺薄なり、名相にわたれるがごとし。無言にして拈花瞬目する、これ密語施設の時節なり。百萬衆は不得領覽なり。このゆゑは、百萬衆のために密語なり。葉不覆藏といふは、世尊の拈花瞬目を、葉さきよりしれるがごとく破顔微笑するゆゑに、葉におほせて不覆藏といふなり。これ眞訣なり。箇箇相傳しきたれるなり。これをききてまことにおもふともがら、稻竹葦のごとく、九州に叢林をなせり。あはれむべし、佛の道の破癈せること、もととしてこれよりおこる。明眼漢、まさに一一に勘破すべし。
もし世尊の有言を淺薄なりとせば、拈花瞬目も淺薄なるべし。世尊の有言もし名相なりとせば、學佛法の漢にあらず。有言は名相なることをしれりといへども、世尊に名相なきことをいまだしらず。凡の未なるなり。佛は身心の所通みな落なり。法なり、有言なり、轉法輪す。これを見聞して得するものおほし。信行法行のともがら、有佛處に化をかうぶり、無佛處に化にあづかるなり。百萬衆かならずしも拈花瞬目を拈花瞬目と見聞せざらんや。葉と齊肩なるべし、世尊と同生なるべし。百萬衆と百萬衆と同參なるべし、同時發心なるべし。同道なり、同國土なり。有知の智をもて見佛聞法し、無知の智をもて見佛聞法す。はじめて一佛をみるより、すすみて恆沙佛をみる。一一の佛會上、ともに百萬衆なるべし。各各の佛、ともに拈花瞬目の開演おなじときなるを見聞すべし。眼處くらからず、耳處聽利なり。心眼あり、身眼あり。心耳あり、身耳あり。
葉の破顔微笑、作麼生會、試道看。
なんだちがいふがごとくならば、これも密語といひぬべし。しかあれども、これを不覆藏といふ、至愚のかさなれるなり。

のちに世尊いはく、吾有正法眼藏涅槃妙心、附囑摩訶葉。
かくのごとくの道取、これ有言なりや、無言なりや。世尊もし有言をきらひ、拈花を愛せば、のちにも拈花すべし。葉なんぞ會取せざらん、衆會なんぞ聽取せざらん。かくのごときともがらの話、もちゐるべからず。
おほよそ世尊に密語あり、密行あり、密證あり。しかあるを、愚人おもはく、密は他人のしらず、みづからはしり、しれる人あり、しらざる人ありと、西天東地、古往今來、おもひいふは、いまだ佛道の參學あらざるなり。もしかくのごとくいはば、世間出世間の學業なきもののうへには密はおほく、遍學のものは密はすくなかりぬべし。廣聞のともがらは密あるべからざるか。いはんや天眼天耳、法眼法耳、佛眼佛耳等を具せんときは、すべて密語密意あるべからずといふべし。佛法の密語、密意、密行等は、この道理にあらず。人にあふ時節、まさに密語をきき、密語をとく。おのれをしるとき、密行をしるなり。いはんや佛よく上來の密意密語を究辨す。しるべし、佛なる時節、まさに密語密行きほひ現成するなり。
いはゆる密は、親密の道理なり。無間斷なり、蓋佛なり。蓋汝なり、蓋自なり。蓋行なり、蓋代なり。蓋功なり、蓋密なり。密語の密人に相逢する、佛眼也不見なり。密行は自他の所知にあらず。密我ひとり能知す。密他おのおの不會す。密却在汝邊のゆゑに、全靠密なり、一半靠密なり。
かくのごとくの道理、あきらかに功夫參學すべし。おほよそ爲人の處所、辨肯の時節、かならず擧似密なる、それ佛佛の正嫡なり。而今是甚麼時節のゆゑに、自己にも密なり、他己にも密なり。佛にも密なり、異類にも密なり。このゆゑに、密頭上あらたに密なり。かくのごとくの行證、すなはち佛なるがゆゑに、透過佛密なり。しかあれば透過密なり。
雪竇師翁示衆曰、
世尊有密語、
葉不覆藏。
一夜落花雨、
滿城流水香。
(世尊密語有り、葉不覆藏。一夜落花の雨、滿城流水香ばし。)
而今雪竇道の一夜落花雨、滿城流水香それ親密なり。これを擧似して、佛の眼睛鼻孔を點すべし。臨濟山のおよぶべきところにあらず。眼睛裏の鼻孔を參開すべし、耳處の鼻頭を尖聰ならしむるなり。いはんや耳鼻眼睛裏ふるきにあらず、あらたなるにあらざる渾身心ならしむ。これは花雨世界起の道理とす。
師翁道の滿城流水香、それ藏身影彌露なり。かくのごとくあるがゆゑに、佛家裏の家常には、世尊有密語、葉不覆藏を參究透過するなり。七佛世尊、ほとけごとに、而今のごとく參學す。葉、釋、おなじく而今のごとく究辨しきたれり。

正法眼藏第四十五

爾時元元年癸卯九月二十日在越州吉田縣吉峰古舍示衆