第九 古佛心

宗の嗣法するところ、七佛より曹谿にいたるまで四十なり。曹谿より七佛にいたるまで四十佛なり。七佛ともに向上向下の功あるがゆゑに、曹谿にいたり七佛にいたる。曹谿に向上向下の功あるがゆゑに、七佛より正傳し、曹谿より正傳し、後佛に正傳す。ただ前後のみにあらず、釋牟尼佛のとき、十方佛あり。原のとき南嶽あり、南嶽のとき原あり。乃至石頭のとき江西あり。あひ礙せざるは不礙にあらざるべし。かくのごとくの功あること、參究すべきなり。
向來の四十位の佛、ともにこれ古佛なりといへども、心あり身あり、光明あり國土あり、過去久矣あり、未曾過去あり。たとひ未曾過去なりとも、たとひ過去久矣なりとも、おなじくこれ古佛の功なるべし。古佛の道を參學するは、古佛の道を證するなり。代代の古佛なり。いはゆる古佛は、新古の古に一齊なりといへども、さらに古今を超出せり、古今に正直なり。

先師曰く、與宏智古佛相見(宏智古佛と相見す)。
はかりしりぬ、天童の屋裏に古佛あり、古佛の屋裏に天童あることを。

圜悟禪師曰く、稽首曹谿眞古佛(稽首す、曹谿眞の古佛)。
しるべし、釋牟尼佛より第三十三世はこれ古佛なりと稽首すべきなり。圜悟禪師に古佛の莊嚴光明あるゆゑに、古佛と相見しきたるに、恁麼の禮拜あり。しかあればすなはち、曹谿の頭正尾正を草料して、古佛はかくのごとくの巴鼻なることをしるべきなり。この巴鼻あるは、この古佛なり。

疎山曰く、大嶺頭有古佛、放光射到此間(大嶺頭に古佛有り、放光此間に射到す)。
しるべし、疎山すでに古佛と相見すといふことを。ほかに參尋すべからず。古佛の有處は、大嶺頭なり。古佛にあらざる自己は古佛の出處をしるべからず。古佛の在處をしるは古佛なるべし。

雪峰いはく、趙州古佛。
しるべし、趙州たとひ古佛なりとも、雪峰もし古佛の力量を分奉せられざらんは、古佛に奉覲する骨法を了達しがたからん。いまの行履は、古佛の加被によりて、古佛に參學するには、不答話の功夫あり。いはゆる雪峰老漢、大丈夫なり。古佛の家風および古佛の威儀は、古佛にあらざるには相似ならず、一等ならざるなり。しかあれば、趙州の初中後善を參學して、古佛の壽量を參學すべし。

西京光宅寺大證國師は、曹谿の法嗣なり。人帝天帝、おなじく恭敬尊重するところなり。まことに丹國に見聞まれなるところなり。四代の帝師なるのみにあらず、皇帝てづからみづから車をひきて參内せしむ。いはんやまた帝釋宮のをえて、はるかに上天す。天衆のなかにして、帝釋のために法す。
國師因問、如何是古佛心(如何にあらんか是れ古佛心)。
師云、牆壁瓦礫。
いはゆる問處は、這頭得恁麼といひ、那頭得恁麼といふなり。この道得を擧して問處とせるなり。この問處、ひろく古今の道得となれり。
このゆゑに、花開の萬木百草、これ古佛の道得なり、古佛の問處なり。世界起の九山八海、これ古佛の日面月面なり、古佛の皮肉骨髓なり。さらに又古心の行佛なるあるべし、古心の證佛なるあるべし、古心の作佛なるあるべし。佛古の爲心なるあるべし。古心といふは、心古なるがゆゑなり。心佛はかならず古なるべきがゆゑに、古心は椅子竹木なり。盡大地覓一箇會佛法人不可得(盡大地、一箇の佛法を會する人を覓むるに不可得)なり、和尚喚這箇作甚麼(和尚這箇を喚んで甚麼とか作ん)なり。いまの時節因および塵刹空、ともに古心にあらずといふことなし。古心を保任する、古佛を保任する、一面目にして兩頭保任なり、兩頭畫圖なり。
師いはく、牆壁瓦礫。
いはゆる宗旨は、牆壁瓦礫にむかひて道取する一進あり、牆壁瓦礫なり。道出する一途あり、牆壁瓦礫の牆壁瓦礫の許裏に道著する一退あり。これらの道取の現成するところの圓成十成に、千仭萬仭の壁立せり、天の牆立あり、一片半片の瓦蓋あり、乃大乃小の礫尖あり。かくのごとくあるは、ただ心のみにあらず、すなはちこれ身なり、乃至依正なるべし。
しかあれば、作麼生是牆壁瓦礫と問取すべし、道取すべし。答話せんには、古佛心と答取すべし。かくのごとく保任してのちに、さらに參究すべし。いはゆる牆壁はいかなるべきぞ。なにをか牆壁といふ、いまいかなる形段をか具足せると、審細に參究すべし。造作より牆壁を出現せしむるか、牆壁より造作を出現せしむるか。造作か、造作にあらざるか。有なりとやせん、無なりや。現前すや、不現前なりや。かくのごとく功夫參學して、たとひ天上人間にもあれ、此土他界の出現なりとも、古佛心は牆壁瓦礫なり、さらに一塵の出頭して染汚する、いまだあらざるなり。

漸源仲興大師、因問、如何是古佛心(如何なるか是れ古佛心)。
師云く、世界崩壞(世界崩壞す)。
曰く、爲甚麼世界崩壞(甚麼としてか世界崩壞なる)。
師云く、寧無我身(寧ろ我身無からん)。
いはゆる世界は、十方みな佛世界なり。非佛世界いまだあらざるなり。崩壞の形段は、この盡十方界に參學すべし、自己に學することなかれ。自己に參學せざるゆゑに、崩壞の當恁麼時は、一條兩條、三四五條なるがゆゑに無盡條なり。かの條條、それ寧無我身なり。我身は寧無なり。而今を自惜して、我身を古佛心ならしめざることなかれ。
まことに七佛以前に古佛心壁豎す、七佛以後に古佛心才生す、佛以前に古佛心花開す、佛以後に古佛心結果す、古佛心以前に古佛心落なり。

正法眼藏古佛心第九

爾時元元年癸卯四月二十九日在六波羅蜜寺示衆
元二年甲辰五月十二日在越州吉峰庵下侍司書寫 懷弉